この記事は、前記事「久々の裏六甲ヒルクライムも登六庵閉鎖にショックを受ける」の続きです。 登六庵の閉店には少なからず動揺しましたが、気を取り直して今回の目的地であった「ヴォーリズ六甲山荘」へと向かいました。
この門は、六甲全山縦走路のコースの道にあるので、10年ほど前、六甲縦走にハマっていた時にこの門の前を通る度に「何だろう?」と気にはなっていましたが、それ以上の関心を持ちませんでした。しかし、このヴォーリズというのが、阪神間モダニズムを代表する建築家、ウィリアム.メレル.ヴォーリスのことであると知った何年か前からずっと気になりだしていたところ、今回初めての訪問とする機会を得ました。ネットで色々と調べたらすぐにどんなものか概要を知ることができますが、今回はあえてそうした予備知識を持たず、とりあえず公開期間であることだけを確かめて行ってみることに。
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場所はここです。この周辺一帯はいかにも高原の避暑地(標高は高いけど)といった風情で気持ちの良い場所です。
門からバイクを押して、木立の中の小道を歩いて行きますが、建物の姿がはっきりと見えません。
と思っていたら、大きい平屋建ての建物の屋根が見えてきました。どうやらあれが目指してるヴォーリズ六甲山荘のようです。
これが玄関か?・・・・。とりあえずバイクを壁に立てかけてと。
屋内に通づる扉が開いていて、スリッパが見えているので、一応ウェルカムな構えになっている様子。「すみませ〜ん」と声を掛けて入ってみた。
屋内はこんな風になっていて、思わず「おおぉ」と感嘆の声を上げた。壁の半分がガラス張りになっていて、明るい木立の庭がよく見える。部屋には古めかしい雰囲気の調度品、重厚な暖炉、そして年月を感じさせる床や梁の木材の質感。これは相当気合いの入った建物であると実感。
そして、屋内には、この山荘の案内をしてくださる女性がお2人いらっしゃいました。この建物を管理している団体のメンバーでボランティアで案内や建物の整理をされているようです。とても丁寧で暖かい歓待と建物の案内をしていただきました<m(__)m>。その節はどうもありがとうございます(^^)/
で、この山荘は一体何なのか、というところに話を戻します。この写真の小寺敬一さん(故人)、甘いマスクの相当なイケメンですね。実業家の一族のお生まれでご本人は関西学院大学の教授(経済学)をされていた方です。この小寺さんが、ヴォーリズ建築事務所に設計を依頼して昭和9年(1934年)に完成した山荘がこのヴォーリズ六甲山荘の由来です。実は小寺さんはこの山荘を建てる前にも、ヴォーリズ設計の邸宅を御影に建てていました。しかし、この旧小寺敬一邸は2011年に入ってから不動産業者によって取り壊されてしまったとのこと。ヴォーリズ設計の個人用邸宅となれば貴重な文化遺産であったはずですが、壊してしまったものは二度と甦ることはない。色々な事情があってのことでしょうが、実に残念でなりません。
こちらが、かのウィリアム.メレル.ヴォーリスさん。先日記事もした神戸女学院の学舎をはじめ、明治末から昭和中頃にかけて阪神間、関西地方で様々な西洋建築を手がけた著名な建築家です。六甲山荘を建てた頃のヴォーリスといえば、日本各地の大学の学舎や礼拝堂、教会や病院といった大建築を数多く手がけ、すでにその名声を確立していた筈です。そんなヴォーリズに一介の個人用山荘の設計を依頼するとは、富豪というのは実に凄いものです。
施主、小寺敬一、設計はヴォーリズということで1934年に建てられてこの山荘ですが、その後、どういった紆余曲折があったのか・・・この山荘は甲南女子大学のセミナーハウスだった時期もあったそうです。しかし、六甲山上での維持管理は難しく、手付かずのままに荒れ果てた状態となっていたところ、「アメニティ2000協会」という団体が、文化財としてのこの山荘の価値を再発見し、市民からの寄付で集めた資金を元に甲南女子大学から買い取り維持管理にあっている、というのがその歴史だそうです。ということを始めて案内人の方からお聞きしました。まさに人に歴史あり、その人の魂を宿したモノにも歴史と物語があるのですね。
玄関からすぐの大きな部屋はリビング兼応接間であった場所です。籐の椅子を初め部屋の調度品は小寺家が山荘として使用していた当時のものがほとんど残っているそうです。暖炉ももちろん現役です。
洋館と言えば、暖炉が象徴的な存在ですが、この暖炉も様々な工夫とこだわりの建材が使用されています。御影石のタイルを貼られた暖炉、ヒノキ板で作られたベンチ。山荘らしく野趣を味わうために節のある板を使っていますが、硬い節の部分もツルツルの平面仕立てにするのは手の折れる大工仕事だそうです。しかし、様々な木材の中でもヒノキは温かみと柔らかさを感じますね。このベンチに座ってみましたが、背筋がシャンと伸びないと座れないのですけど木の肌触りがなんとも心地良かったです。
食堂です。確か小寺さんは4人のお子さんにご夫婦の6人家族。主に夏場の避暑のためにこの山荘で過ごしていたと思いますが、家族全員が必ずこの食堂に揃って食事をされていたそうです。
このヴォーリス六甲山荘では食事を戴くこともできます。今日のランチはドライカレー(700円)でした。食堂からリビングを見るとこんな感じ。他の訪問客も2組来られていました。
ケーキセット(500円)も戴きました。六甲山上の山荘で庭を眺めながら食べる手作りのチョコケーキと珈琲はまた格別ですね。
こちらはご夫婦の寝室です。社交の場でもある応接間兼リビングや食堂は重厚な作りですが、普段の生活の場である夫婦や子どもたちの寝室や厨房、使用人の部屋は軽やかな雰囲気で過ごしやすさを重視したようです。エメラルドグリーンの壁と明るい日光で爽やかな雰囲気となっています。
なんとお風呂は五右衛門風呂。今ではお湯が出るので薪で火を焚く必要はありませんが、往時は2人常駐していたという使用人さんが薪を焚いてお風呂を沸かしたのでしょうね。なんだか時代を感じますね。
こちらは使用人たちが過ごす部屋。和室になっていますね。壁に備え付けの収納式アイロン台。ヴォーリズ設計の特徴でもあるそうです。確かに便利だわコレ。家にも欲しいな。
今度は庭に出て山荘の外観を見て回りました。応接間の白い窓枠、ドア枠は全て木製で建築当時のものが使われていますが、ガタつきもなくスムーズに開閉します。当時の大工の丁寧な仕事があってこそ、築80年の今でも使用に耐えうるのでしょうね。
ちなみに、六甲山上に別荘を持つ・・・なんてのは憧れの一つではありましょうけど、維持管理が物凄く大変と、今回案内してくださった方がおっしゃっていました。標高の高い山の上に建っているということで家屋はまさに湿気との闘いになるという感じです。ヴォーリス六甲山荘は風通りの良い小さな丘に建てられていること、湿気対策のためにしっかりと予算を割いて設計されたこと、等々の事情で築後80年の現在でもほとんど改修することなく使用できているそうです。小寺家の別荘であった頃には夏季以外にも常駐の使用人さんを置いて家屋の維持管理に当っていたそうです。こういうのをブルジョワと言うんでしょうね〜。
ともかく、風通しの良くない谷間に建てられたものや、予算を切り詰めて建てられたものは直ぐに湿気でダメになってしまうそうです。別荘って怖いですね。
山荘をぐるっと周ってみました。
ちなみに、この六甲山荘は宿泊もできるそうです。食事は持ち込みなんですけど、結構安いお値段で泊まれます。アメニティ2000という団体の会員になると、家族や友人などの利用もしやすくなります。BBQやピザ釜もありますよ。ここを拠点に六甲山の観光やトレッキング、MTBやロードで遊び尽くすなんてのは阪神間ならではの愉しみじゃありませんか。やってみようかな。